196号表紙

No.196(平成1年2月)

特集:

有馬温泉

有馬温泉

温泉、この神秘的な魅力

(左)
有馬温泉の旅館の大宴会場(兵衛向陽閣)

有馬温泉

 有馬は日本古来の温泉で、古くから東の草津と並び称された代表的温泉として知られている。「日本書紀」によると1300年ほど前、34代舒明(じょめい)天皇は二度有馬温泉に来られており、また36代孝徳天皇も温泉に来られ、この時は大臣や重臣も連れて来ておられる。
その後、僧行基がこの地に来て衰えていた温泉を復興し、寺院3院を設け、鎌倉時代には僧仁西が熊野から来住、12の宿坊を建て平家の落人(おちうど)の療養にあたった。さらに、豊臣秀吉はたびたび入湯に訪れ、8坊を加え、戦傷者の療養地とした。
有馬温臭の旅館に、坊のつくのが多いのはその名残である。

写真
  • 写真落ち着いた雰囲気の漂うロビー(中の坊瑞苑)
  • 写真神秘的な湯をたたえた岩風呂(古泉閣)
  • 写真金泉(池之坊満月城)
  • 写真お客が到着すると、ロビーでまずまっ茶と和菓子で接待
  • 写真緑豊かな旅館の玄関(陵楓(りょうふう)閣)
  • 写真ロビーの彫刻(有馬グランドホテル)
  • 写真お座敷天ぷら(欽山)
  • 写真露天風呂(兵衛向陽閣)。有馬温泉では、鉄分と強い塩分を含んだ鉄さび色の赤い湯を金泉、多量のラジウムを含んだ透明の炭酸泉を銀泉と呼んでいる
  • 写真御輿が町を練る昔の有馬温泉入初式の図(摂津名所図会から)
  • 写真たそがれの街をお座敷へ急ぐいきな有馬の芸者さん。「有馬温泉自体はにぎわっているのに、芸者の数は年々減って、後継者が育ちにくいのが悩みの種」だそうだ
  • 写真仕事先の旅館へ
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    展望大浴場(有馬御苑)

    写真露天風呂(有馬グランドホテル)
  • 写真露天風呂(月光園)
  • 写真毎年正月2日に有馬温泉で行われる入初(いりぞめ)式。温泉の開祖と中興の恩人である僧行基と僧仁西の遺徳をしのび、温泉の繁栄を祈るもので、両像を乗せた御輿(みこし)が温泉寺を出発して町を練るほか、式場では、湯女にふんした有馬芸者が湯もみ太鼓のはやしに合わせて初湯を適温にさます湯もみ行事などを行う
  • 写真金泉(御所坊)
  • 写真ディスコラウンジ(月光園)
  • 写真旅館内の吟醸酒バー(御所坊)
  • 写真佗(わ)びの世界ー冬の日本庭園(古泉閣)
  • 写真ボーリング場(有馬グランドホテル)
  • 写真ローマ風大浴場(兵衛向陽閣)
  • 写真手づくりの洋菓子で若い女性に人気のある「カフェ・ド・ボー」奥に喫茶ルームもある
  • 写真観光客や地元の人たちでにぎわうカラオケスナック「いずみ」
  • 写真「カフェ・ド・ボー」の外観
  • 写真緑に囲まれたサニーサイドアップ・テニスクラブ
  • 写真露天風呂(龍泉閣)
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    写真有馬の佃煮つくだに)は、郷土の香り豊かな松茸と昆布を煮た松茸昆布や、数多くの山椒(さんしょう)の中から花だけを採集した花山椒などの詰め合わせが好評(川上商店での佃煮の詰め合わせ作業)
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    写真籠(かご)を編む見事な手さばきに見入る買い物客。有馬の竹細工は、太閣秀吉がこの地で茶の湯を楽しんだ古い由緒を受け継いでおり、茶華道家元の嗜好(しこう)品から、趣味の品、家庭用品まである(竹の店「くつわ」で)
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    写真昔ながらの手づくりで作られる炭酸せんべい。有馬から自然にわき出る炭酸水を用い、70年ほど前から湯のまちの土産品として作られるようになった。 淡白な中に歯ざわりのよい素朴な風味をもっている(三津森本舗で)
  • 写真有馬人形筆の製造風景。人形筆は"子持ち筆"ともいわれ、筆を立てると軸の末端から小さな人形が現れ、倒すと隠れる仕掛けになっている。古い伝統をもち、色鮮やかな独特の愛らしさと、竹細工の素朴な味わいで親しまれている(西田筆店で)
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有馬 今昔

  • 写真昭和40年ごろの温泉寺の階段(階段上部右の洋館は市役所有馬出張所)
  • 写真現在(也之坊満月城屋上から)
  • 写真ほぼ同し場所から撮影した現在の風景(有馬御苑屋上から)
  • 写真現在の杖捨橋
  • 写真現在の阪急バスのりば付近
  • 写真現在の有馬温泉駅跡付近
  • 写真最近ブロック舗装された有馬温泉街の舗道。ブロックには下水汚泥の焼却灰が利用されている。モミジとロープウエーと清流をデザインしたカラーマンホールのふたが舗道とマッチして、明るい雰囲気を醸し出している
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    現在の有馬本温泉(市立有馬温泉会館)
写真提供・有馬温泉観光協会 永岡大純氏
新修神戸市史編集室

有馬史跡・名勝

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    三羽鳥の彫刻(ねがいの庭)

    大己貴命と少彦名命が有馬に降臨されたとき、三羽の傷ついた烏が水たまりで水浴していた。そして数日で烏の傷が治ったので不思議に思った二神が調べると、この水たまりが効能高い温泉であることが分かった。これが、有馬温泉が広く世に知られるようになった始まりである
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    温泉神社

    有馬温泉は神代の昔、大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこのみこと)の二神がつくられたと伝えられているが、この神社の祭神は大己貴命。愛宕(あたご)山の中腹にある神社の境内からは有馬の町が足下にひらけてよく見える
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    あなむちの神地(水天宮)

    大己貴命の降臨の遺跡と古くから伝えられており、境内の「穴虫の清水」と呼ばれる浅い泉水の中に、有馬三石の一つでL字型の鎮座石がある。昔は「あなむち」と呼んだのを、後に「穴虫」と転訛(てんか)したものだろう
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    僧行基像(ねがいの庭)

    僧行基は神亀元年(七二四)、六甲越えでこの地に来て衰えていた温泉を復興し、温泉寺などの寺院を建てたが、その道中記に次のようないわれが伝えられている。行基が魚屋道(ととやみち)にさしかかると、一人の病人が倒れていたので「どうしたのか」と聞くと、「三日間何も食べておらず歩けません。どうか助けて下さい」。かわいそうに思った行基は里まで下りて魚を求め、再び引き返してこれを病人に与えた。すると、病人の姿がたちまち金色荘厳の仏体となり、我は、この温泉山の薬師仏である。上人の慈悲心を試すため病身となったのだ」と告げ、姿を消した。感激した行基は、有馬で等身大の薬師如来像を刻んで温泉ゆう出の底に埋め、一寺三院を建てたという
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    落葉山の妙見寺(堂)

    落葉山には有馬温泉にまつわる有名な伝説がある。僧行基によって広く知られるようになった有馬温泉は承徳年間(一○九七〜九八)、六甲に山津波が起こり一〇〇余年もさびれていたが、建久二年(一一九一)、僧仁西が熊野権現の夢のお告げで吉野からこの地に来て温泉を再興、再び盛んになったといわれている。そのとき、六甲山をたどっているうちに道に迷い、この山の上で途方にくれていると、白髪の老人が現れ、持っていた木の葉を東に向かって投げ、あれが落ちた所が温泉だと告げて姿を消した。仁西が教えられたとおり葉の落ちた所を掘ると新しい湯がわき出し、今の有馬温泉か再興できたという。以来この山の名を落葉山とも投木山とも呼ぶようになった。
    仁西は有馬再興のとき、薬師を守る十二神将になぞらえて、十二の坊を建てたと伝えられており、有馬の旅館の名に坊の字がついているのが多いのはこのためである
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    温泉寺(清涼院)

    有馬温泉開祖の僧行基が温泉を開いたとき、自ら薬師如来の像を刻み、堂を建てて安置し、温泉寺といったと伝えられている。寺に祭られている行基と中興の僧仁西の両像は、正月二日の入初(いりぞめ)式に御興に乗せて若者が町中を練り歩くので有名である。寺の木造波夷羅大将(はいらたいしょう)立像(像高一〇二・五p、室町時代)と、黒漆厨子(こくしつずし)(総高三九・六p、鎌倉時代)はともに重要文化財

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    善福寺の山門

    この寺の木造聖徳太子立像は高さ六八・二p、胎内に作者名のある鎌倉時代後期の優秀作で重要文化財。また、境内の枝垂れ桜(四月上旬が見ごろ)は有馬名物の一つとして有名である
  • 写真温泉寺の木造波夷羅大将立像(重要文化財)
  • 写真水天宮の鳥居
  • 写真善福寺の木造聖徳太子立像(重要文化財)
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    太閤秀吉像(湯けむり広場)

    秀吉は天正十三年(一五八五)、関白になると同時に二度にわたる大火で全滅状態にあった有馬温泉の修復に着手、本温泉の周囲に豪華な別荘を造り、湯女を従えて毎日のように入浴を楽しんだといわれる。さらに慶長元年(一五九六)には地震で破壊された温泉や寺を復活、これが江戸時代に入ってから大繁盛のもとになり、明治を経て今日のようにますます繁栄するようになった
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    念仏寺

    秀吉の正室、北の政所(まんどころ)(ねね)の別邸跡と伝えられている。庭が美しく、樹齢二百五十年といわれる沙羅双樹の大木がある。六月下旬が見ごろ
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    林渓寺

    境内に紅梅の老樹がある。一般には「妊娠の梅」として知られ、子のない女性がこの梅の実を食べると身ごもるといわれている
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    極楽寺

    温泉寺のすぐ後ろに建っており、以前は秀吉の"願いの湯(新湯)跡"が寺の境内にあったが、今は庫裏の下に隠れてしまっている
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    瑞宝寺公閥

    明治六年に廃寺になった瑞宝寺跡で、庭内に秀吉遺愛という石の碁盤(写真)がある。カエデが多いため晩秋の景観美は特に素晴らしく、時がたつのを忘れるところから、古くから「日暮らしの庭」と呼ばれている。毎年十一月二、三日にここで開かれる有馬大茶会は名高い
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    鼓が滝

    滝山、灰形山、落葉山に囲まれ、付近には清流とともに山桜、カエデなどが多いので四季を通じて景観美に富んでいる
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    鳥・炭酸・虫地獄

    愛宕山のふもとの低地を地獄谷と呼び、この谷に約十五mずつ間をおいて鳥地獄など三つの穴が地面にある。昔ここに温泉がわいていたころ常に炭酸ガスが発生し、虫が入りこんだり、穴に近付く小鳥さえ死ぬのでこんな名が出たのだろうか、今は名だけの名所となっている
    炭酸地獄
  • 写真鳥地獄
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    炭酸泉源

    数ある有馬の炭酸泉中、最初に見出されたものである。明治八年、それまでは毒水と呼んで近寄るのを避けていた地元の人たちがこの泉水を大阪の内務省司薬場で分析してもらったところ、非常に有効な炭酸泉であり、飲料としても優れていることが分かった。町民は喜んで石で湧出口を囲み、上屋をつくって水露を防ぎ、休憩所を設けて飲用の便をはかった。それ以後も、れんが造りの浴場と木造の旅館が建ち、全国から客足が絶えなかったが、次第にさびれ、昭和五十七年に現在のように整備された
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    妬湯(うわなりゆ)(跡)

    この湯は後妻湯といって、和漢三才羅山詩集などで知られ、豊かな史実を伝えている。妬湯跡はその昔のゆう出口で今はゆう出しておらず、この裏に「新妬湯」と呼ばれる泉源があって本温泉浴場に引湯されている
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    湯けむり広場

    人工の滝や太閤秀吉像のほか展望台、遊歩道などがあり、有馬のシンボル的存在である
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屋根に薄つすらと雪をのせた有馬温泉郷。六甲の山並みに抱かれた静かな冬の有馬は、温泉情緒もひとしおである(兵衛向陽閣屋上から南方向を望む)
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